ポン次郎の日記

2011年11月21日 13時30分

人間の生死感について

タグ: キモーイ日記

 書き込みなどをダラダラ見てて思いましたので書いてみます。

 僕の親父は冬になると猪を撃ちに山に行きます、山といっても猪がいるような山ですからそうそう人間が入り込めるぬるい山道なんて無い藪の中です。

 そんな険しい山に分け入って犬が猪を追い立てて降りてくるのを尾根で待つのですが、時々崖から足を滑らせて落っこちちゃう人もいます、近くに仲間がいるので大抵は助かりますが、稀にそのまま見つからずに死んでしまう事があるようです。

 前に聞いたのは、崖下で両足が折れて動けなくなった猟師の遺体を見つけた話でしたが、遺体の回りにはタバコの吸殻が何本か落ちてて散弾銃の弾は全部撃ちつくして凍死してたようです。
 要するにこの人は死ぬ直前まで散弾銃での自殺は考えなく、いまわの際に何本かタバコを吸って救出を待っていたということでしょう。

 僕はこの話を聞いたときに山が怖いとか危ないとかも思いましたが、何となく他人に自慢できる死に様だと思ってなんか羨ましいなと思ってしまいました。病室で人工心肺装置を付けられて強制的に生かされ続けた結果の死ではない、直前まで好きな事をやっていて、野生の中で近づいてくる死を感じながら一秒一秒今生きている事を恐怖とともに感じられる状況で死んでいくのは現代において何とも贅沢な死に様です。

 人間はいつか死にます、だから僕は死はそんなに悲しい事じゃないし忌み嫌うモノでもないと思います、ただその死が悔いの残る形であったり無念の死であったり生き恥晒した上でのみすぼらしい死であったりする事が嫌です。

 僕の小学校の恩師は2歳の子供と嫁さんを残して心筋梗塞で死にました、どうしようもないバカですまだ生きなければならない理由があって死なれちゃ困る人が大勢いるのにさっさとあの世へ行ってしまいました、ですから例え死が嫌いじゃないと言ってもこういう葬式は大嫌いです、反吐が出ます。

 上で挙げた猟師さんはもう結構な年齢だったと聞きます、猟師としては畳の上の死に比べれば最高の最期だったんじゃないかと思います、僕も許されるならこのような最期を迎えたいと思いました。